東京地方裁判所 昭和40年(ワ)8160号 判決 1966年6月16日
原告 安藤繁
被告 東洋美術学校校長こと 中込とめ子
被告 伊藤平信
主文
一、被告は原告に対し、金五〇万円およびこれに対する昭和四〇年一〇月一五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
二、訴訟費用は被告の負担とする。
三、この判決は原告において金一〇万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。
事実
一、請求の趣旨
(一) 主文第一、二項同旨の判決
(二) 仮執行の宣言
二、請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告の請求を棄却する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
三、請求原因
(一) 原告は、訴外株式会社西野建築設計監理事務所(以下訴外会社という。)に対し、東京法務局所属公証人宮崎三郎作成昭和四〇年第七五六号金銭消費貸借契約公正証書の執行力ある正本にもとづき、右訴外会社が第三債務者である被告に対して有する金五〇万円の債権に対し、函館地方裁判所昭和四〇年(ル)第二七二号、同年(ヲ)第二八六号債権差押ならびに転付命令申請事件につき債権差押ならびに転付命令を得、右命令正本は昭和四〇年九月七日債務者たる右訴外会社に、同年八月三一日第三債務者たる被告にそれぞれ送達された。
(二) よって、原告は被告に対し金五〇万円およびこれに対する訴状送達の翌日である昭和四〇年一〇月一五日から支払済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
四、被告の答弁
請求原因(一)の事実中、訴外会社が被告に対し金五〇万円の債権を有するとの点は否認するがその余の事実は認める。
訴訟会社と設計委託の契約をしたのは、被告ではなく訴外足立謙敏である
五、<以下省略>。
理由
一、請求原因(一)の事実は、訴外会社が被告に対し金五〇万円の債権を有するという点を除き当事者間に争いがない。
二、ところで右金五〇万円の債務の帰属について按ずるに、成立に争いない甲第三号証の設計管理委託契約書によれば「建築主、東洋美術学校校長中込とめ子」とある記載のうち「中込とめ子」の記載が抹消されて「理事長足立謙敏」と訂正されていることをもって、被告は右契約の当事者は足立個人であり、被告は単に契約に立会ったものにすぎない旨主張し、証人足立謙敏及び被告本人はいずれもこれに副う供述をしているが、証人武蔵邦久の証言(第一、二回)によると、被告はこれよりさきの昭和三九年五月頃、訴外会社に対し高円寺所在の旧校舎の改築設計を依頼したこともあって、同社の武蔵とは面識もあり、その頃から新校舎の設計について被告から話があったこと。そのため被告と武蔵はしばしば意見を交換し、それに基き武蔵は設計をすすめていたが、正式にその設計管理をする話合がなされたのは、七月の初頃であり、当時武蔵においては既に設計を完成し建築確認申請を提出しうる段階になっていたから、被告に対し再三に亘り請求して、やっと同年七月二〇日契約締結の運びに至ったこと。従って同日契約書を作成するにあたって、武蔵は旧校舎の設計管理委託契約書(成立に争いのない甲第四号証)同様の形式で建築主を東洋美術学校校長中込とめ子とする設計監理委託契約書(甲第三号証)をタイプライターで印刷作成の上、持参したが、被告と足立から、校舎建築は足立が地主となっている土地であり、地主が建築主になっていないと檀家に対する手前も悪いし建築許可がおりないかもしれないからとの話が出たので、建築許可を得る便宜上、建築主名を理事長足立謙敏」と訂正したこと。その際被告は武蔵に対し、自分が責任をもつと述べたこと。右設計は結局実施されるに至らなかったが、被告が、武蔵がさきに右設計に基きなしていた建築確認申請の取下げを求め、その代償として他の建築主を紹介する旨申出たことなどが認められるから、これらの事実に徴すると訴外会社と設計監理委託契約を締結したのは被告であると認定するのが相当である。のみならず、このことは前顕足立証人及び被告本人各尋問の結果からしても窺えるところである。即ち右両名の供述によれば、そもそも新校舎が建築されるに至ったいきさつは、被告はその経営する東洋美術学校の校舎が狭隘になっていたところ、同県人であり、かねて知合の住職である足立謙敏から、敷地は同人の寺院の境内地を提供するからとの申出があったので、その新築計画をたて、学校法人の認可を得たあかつきは、足立を理事長として迎え、学校経営に参加させる話が進められていたことから、同人は理事長になったつもりで、対外的にもその様に自称していたこと(現在に至るも学校法人の認可はなく、足立は理事長に就任もしていない)。同年七月二〇日、契約書(甲第三号証)を作成する際、武蔵から、足立がいずれ学校の理事長になるのであれば、契約書面上も足立名義にした方がよいし、しかも地主が建築主になっていないと、建築許可をうけるときまずいといわれて、足立、武蔵及び被告の三者話合の上、前記甲第三号証記載の如く「理事長足立謙敏」とすることに決めたというのであるから、これによっても足立がその個人としての資格においてではなく、将来同人が理事長として、学校を代表するという前提のもとに、とりあえず、足立が学校の代表者としての資格を有するものとして便宜足立名義を使用したものに外ならず、新校舎の設計監理はあくまで東洋美術学校として委託するものではあるが、問題はたゞその代表者の表示を如何にするかという点にあったに過ぎなかったと認めるのが相当であり、当時(現在においても)右学校は被告個人の経営によるものであるから、結局被告が本件設計監理委託契約の当事者に外ならないと謂うべきである。
叙上認定に反する足立証人及び被告本人の各供述は措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
然らば本件設計監理委託契約は、被告と訴外会社との間に締結されたものであり、且つ前顕武蔵証人の証言及び甲第三号証によれば、右契約に基く設計は完成し、建築確認申請をすませていたこと、新校舎の工事費は約二〇〇〇万円の予定であったこと、訴外会社はその四%の報酬請求権を有するが、監理を実施しなかったし、結局被告に採用せられなかった事情を考慮して金五〇万円を被告に対し請求していたことが明らかであり、原告が訴外会社の右債権につき差押、転付命令を得、それが訴外会社及び被告に夫々送達されたことは当事者間に争いがないから、被告は原告に対し金五〇万円並びにこれに対し、記録上明らかな訴状送達の翌日である昭和四〇年一〇月一五日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべく、<以下省略>。